『返さなければならないものがある』




その言葉と一緒に降り注いだのはあたたかな灯

そして――























目の前の黒い塊が体の末端から粒子となり崩れていく。
普通の始祖の隷長では考えられない現象に、少なくともベリウスの最期を知るものは目を見張った。
みるみるうちに消えていく翼。
力無く下げられた頭が不意に動いて、生気を失った瞳がデュークを見つめた。


『・・・・間に合った』


これでようやく

イクレプスはそう囁くように呟いた。
最期を目前にしてそこまで穏やかな声がでるものかと、デュークは息を詰めた。
安堵の息を吐くイクレプスにデュークが聞き返そうとしたそのタイミングで、弱りきったイクレプスの体が光を帯びる。
ぼやけていく黒い輪郭と大きな気配。

「イクレプス・・!」

消えるなと口にするには間に合わず、名を呼ぶには十分すぎた一瞬。
反射的に伸ばされた手の先でイクレプスを包んだ命の光は強さを増す。

「・・・!!」

そして光の向こうで変わっていくものがあることに気づいたデュークは、なりふり構わず光の中へと手を突っ込む。
その中で掴んだものは人間の腕。
掴んだ腕に力は篭っておらず、光が収まると同時に崩れそうになる体を慌てて支えた。
浮遊感にふわりと舞う宵闇色の髪。
久しく目にしたようなその色は、たった今消えた彼の瞳と同じ色をしている。
イクレプスが消えてそこに残されたのは、彼がずっと守ろうとしてきた子どもだった。

「っ・・・ユーリ!!!」

背後から聞こえる少女の歓喜の声。
同じようにデュークに守られる形になったカロルたちからもそれぞれ喜びの声があがる。
しかし、それ以上の安堵をこの状況がもたらす事はなかった。

ユーリを貫いたままの宙の戒典。
デュークが背を向けているカロルやリタ達には一瞬しか見えなかったそれ。
肉を裂き骨を砕いて薄い体を貫通している刃の切っ先から血が止め処なく流れる。
意識のない体を支えたまま膝をついた際に聞こえた地面を踏む音が、早々に湿気を帯びていた。

「・・・ユー、リ」

気を失っている彼をこの手に抱くのは何度目だろうか。
出会って間もなく、接点もそう多くないと言うのに大層な巡りあわせだと、デュークはユーリの顔を見つめた。
誰かが息を呑む音が聞こえる。
皆が、己の声にユーリが反応を示すことを待ち望んでいる。
それから少しするとユーリの瞼が僅かに動き、それを境にユーリの沈黙は破られた。

「う・・っ」
「ユーリ・・ッ!」

小さく呻く声。
確かにユーリのものであると認識したエステルがデュークの体越しにユーリに呼び掛けた。

「え、す・・・・てる?」
「はいっ・・・ユーリ・・・!」
「・・・おれ、は・・・」

朧気な瞳が揺らめいて彷徨う。
声だけに反応しているような素振りを見せていたユーリだったが、次第に視覚が戻ってきたらしく
はっきりとした瞳が辺りを見回して、いつのまにかデュークを捉えていた。

「デューク、か・・?」
「分かるのか」
「そんだけ、特徴的な色・・・してりゃあな」
「・・・お前の仲間たちも居る・・・分かるか?」

ユーリを抱きかかえる腕をずらし頭を僅かに持ち上げて、背後にいる子どもらへと向ける。

「わかるって・・・馬鹿に、すんな・・・」

そう言って口元にだけ笑みを浮かべる。
その仕草は普段のユーリと変わりないのに、今はどうしようもない不安を煽られる。
今にもどこかへ行ってしまいそうな。
もう以前のような彼とは会えない、そんな気がしてならないのは何故だろうか。
それを誰かが疑問に思う前にユーリが動いた。
何を思ったのか、ユーリは自分の腹を貫いたままの剣の柄に手をかけてくる。
まさかと思った時には既に遅く、渾身の力を篭めたらしい手が剣を引き抜こうとしていた。

「ぐ、ぁあっ・・・!!」
「っ何をしている!」

ズ、と動いた刃にデュークは慌ててユーリの手を掴んだ。
その拍子に刃が動き傷を抉り更にユーリの顔が苦痛に歪む。

「い、から・・・っ」

冷たい額に滲む脂汗が、その激痛を物語る。
切っ先が抜けきるまでは長い。
それをゆっくりと、絶えるようにゆっくりと引き抜くユーリの震える手。

幸い、ユーリが行っている残酷な行為はデュークの体によって背後にいたエステル達には見えていない。
見えるのはデュークの体では隠しきれない頭と、長い足。
その足がビクンと跳ねたり固い地面に跡を残すほどもがくその様は、それだけでも痛々しく。
ユーリが味わっている苦痛をそのままに表していた。

「ゆ・・・ユーリぃ・・・っ」

デュークの正面に居るレイヴンたちの表情も青ざめていて
それだけで自分達の目の前で何が行われているのかなど分かりたくもなかった。
けれど、見るに耐えないその光景から目尻に涙を溜めつつも目を逸らさずにいたカロルの声があがる。
絞り上げるような声。
泣くのを我慢しているのか語尾が震えているその声に、ユーリはデュークの腕越しにカロルを見やった。

「わるい・・・ちっとだけ・・耳、ふさいでろ・・・」
「やだぁ・・・ユーリ・・・!」
「たのむ、から・・・!」

普段から、皆のお兄さんでかっこよくて挫折したり弱いところを見せない『強いユーリ』しか見た事のないカロル達からすれば
今の痛みに悶え苦しみ噛み殺した悲鳴を上げるユーリなど想像したこともなくて。
弱りきっているユーリを見る事でさえ不安で一杯だというのに、そんな彼が息も絶え絶えな状態で「耳を塞げ」と言うのだ。

「やめてよユーリ!!」

死刑宣告と同じ響きのそれに、カロルは抗った。
決して目を逸らそうとはしないカロルには構わず、ユーリはデュークの手を押しのけて一気に剣を引き抜いた。

「ひっ、あぁあ゛ぁああ・・・っ!!」

大きく跳ねたユーリの足。
ずるりと何かが抜けた音と、固いものが落ちる音。
そして耳に痛いほど古仙洞内に響いた苦痛に満ちた悲鳴。
それの最後はくぐもったもので、よく見るとユーリを抱える上半身が丸められている。
どうやらデュークがユーリの悲鳴を上げる口を塞ぐのと一緒に頭を抱きしめているようだった。

「ゆーり・・」

呆然と誰かが呟く。
地面を蹴る足が伸びきると同時にくぐもった悲鳴も止む。
強張ったユーリの足は次第に緩んで、くたりとよれた。
それを見たカロルが一番に駆け寄ろうとする。

「カロル!」
「っ・・・」
「駄目よ」

カロルを止めたのはジュディスだった。
デュークの正面に立っていたジュディスは、カロルを遠くから睨むように見つめ、静かに首を振る。


“見ては”駄目


そう言っているのが声にしなくても嫌でも分かってしまった。

だって、ジュディスの隣のあのレイヴンですら
見えているはずのそれから目を逸らしていたから。


立ち尽くしたカロルの握っていた拳から、徐々に力がぬけていく。
目の前には弱りきったユーリとそれを一番に支える、
決して自分達の味方にはならないと見切りをつけたはずの男。
分からない状況。
追いつかない頭。
ユーリから目を逸らしたレイヴン。

そして何もできない自分。


カロルに限らず、唯見ていることしか出来ない者達を取り巻く状況は
絶望以外のなにものでもなかった。









「はっ、は・・・っ・・」

思わず掻き抱いた頭。耳のすぐ傍に熱い息が掛かる。
合わさった肌は冷たく、ただ汗でじっとりとしているだけだ。
引き攣った息を繰り返すユーリの頭をそっと放し、宙の戒典が突き刺さっていた場所に手をやる。

「ぐっ・・・」

ドクドクと脈打つ体。
傷の付近だけ熱をもつという異様な状態に眉を顰めた。
否、そうでなくともこの状態を見れば嫌でもそうなる。

「何故、このようなことを」

そう尋ねてもユーリは痛みをやりすごそうと、目をきつく閉じ必死に呼吸を繰り返すだけだ。
大きな傷口に触れる手は布越しだというのにも関わらずぬるりと血が付着する。
体を支えている膝にもその湿ったものを感じ、デュークは傷に触れていない手を強く握った。

何の真似だというのか。これは。

こんなことをしても何にもならないということは剣を扱うユーリがよく知っているはずだ。
なのに何故、と怒りをも含んだ目でユーリを見下ろせば閉ざされていた瞳が薄く開き、口の端が僅かに持ち上がっている。

「んな、怒んなよ・・・」
「馬鹿なことをして・・・何故だ」

問うデュークに答えは返さず、ユーリの手は傷を押さえるデュークの手に重ねられる。

「っ・・・・」

相変わらずの、血の通った生き物とは思えないほどの冷たい感触。
それに息を詰めるデュークだったが、それより他に


パキン


聞こえるはずではない音に、目を見張った。



「ユー、リ?」



手の下に触れるのは、それでも温かな血であるはずなのに



ピキ
パキン



絶えず流れるものであるはずなのに――



「これは」



手に触れたものはどうして



「どういう、ことだ?!」



彼と同じように、砕けていく。 









 







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